2011年11月12日更新
「身についた基本」は何年経っても、剥がれ落ちない

写真:「身についた基本」は何年経っても、剥がれ落ちない

多摩スポーツセンターで、行われた「川崎団体総合強化リーグ」(後期)
男子団体戦の事です。(男3人と女の私で4人構成チーム)

男子9部、5チームリーグの3試合目に、一番手で出場した所、70歳位の選手と対戦。

ジャンケンで負けた私は、エンドを選択しレシーブに構えた。
左利き選手の相手から繰り出された「バックスピードサービス」が、音も無く超スピードで、フォア側のサイドを切って駆け抜けた。

余りの速さにビックリしただけで、一瞬も動くことが出来なかった。 皆が〜(笑笑笑!!
2本目も反対側のバックの白線部分に、スピードで駆け抜けた。
その後、私の2本のサービスは、強烈スマッシュを浴びた。

「0-4からのスタート」
他に強烈だった「カーブドライブ」

少し間を置き、深く「フー!!」と深呼吸、ここから気持ちを入れ替え試合を進めた。
1セットだけは、9点で取れたものの(3-1)で負けました。(^_^;)

全試合を終えた後、この方は元「卓球世界チャンピオン・長谷川信彦選手」のお兄さんだと聞かされました。
現在も、東京大学卓球部の監督を、していらしゃる長谷川次彦さんでした。
どうりで、このお年でこのプレイ、脱帽です。


『長谷川信彦選手』のご紹介
愛知県生まれの「ペンホルダーグリップ」の選手としてスタートし、史上最年少の18才9ヶ月
で「全日本卓球選手権大会」男子「単」を制した。
1967年に「世界卓球選手権ストックホルム大会」男子「単」優勝した。
世界チャンピオンです。

選手を退いてから、卓球用品メーカー「株式会社タマス」に入社し、その後1992年には群馬県桐生市に卓球場を開き、卓球普及や後進指導に取り組んでいたが、2005年11月7日に、卓球場近くの木の伐採中に、倒木の下敷きになり他界された。

長谷川信彦選手は「1本差しグリップ」で知られ、そのプレースタイルともども、卓球界に大きな影響を与えた人である。

初めての男子チームでの試合、色々な経験が出来ました。そして何よりも楽しかった〜(笑