2016年11月04日更新
五輪の舞台裏、会場で愛ちゃんを支えた人がいた!!

リオ五輪で団体メダル獲得の裏に、沢山の人達の支えがあった事は報道されていましたが〜
一昨日の番組では、五輪の舞台裏をカメラで追い続けた話が映し出されました。

それは、前五輪の団体リーダーであり、銀メダル獲得の立役者の平野早矢香選手「ひら姉〜」で、愛ちゃんと一緒の涙を流してくれた元選手がいた。…というお話です。

平野早矢香元選手は、前五輪後からの4年間、リオ五輪に向けても頑張っていて、代表争いにも参戦していたが、若い力の前に限界を感じて第一線から身を引いたが、卓球レポーターや指導という形で日本女子選手達と共にあった。

リオに向けての合宿にサプライズで、平野早矢香元選手の姿を逸早く見つけたのは、福原愛選手だった。
愛選手は”どこの綺麗なレポーターさんかと思った…”と満面の笑みで迎え入れた。
この練習後に、二人きりで食事しに行ったそうです。
食事を前に色々の話をしていただろう〜だんだん、募った思いが湧いてきた。
福原選手はこのリオ五輪は4回目の経験になる。

1回目は最年少参加で、お姉さんたちに包まれハツレツとプレー
2回目は、日生、藤井寛子元選手のお母さんの様な優しさ、頼もしさでプレーに集中出来た大会だった。
3回目は、ひら姉〜がリーダーで、涙の初銀メダル獲得のエースとしてプレーしていた。
4回目のリオ五輪では、最年長でリーダー、もう甘えられるお姉さん達はいません。

3回目のロンドン五輪以後、怪我や手術などが続き、練習できない日々が続く中、次の五輪に向けて代表を勝ち取る努力が続いていた。
そして、見事にリオ五輪の代表になった。
でも、ホッとしている暇は愛ちゃんにはありません、愛ちゃんならではの戦いが始まりました。
リーダーとしてどうしたら良いのか?
サッカーの長谷部選手に、元リーダーの藤井寛子元選手に相談したり、お話を聞いて勉強したりしている日々をテレビを通して知っていました。
こんな沢山の皆さんに囲まれてはいましたが〜

「ひら姉〜」の存在は、自分そのものだったのでしょう…
その食事の時には、愛ちゃんの本音がどんどん溢れ出し、涙も出てきました。
「ひら姉〜」も五輪直前の話を聞いて、自分そのものの様に寄り添い励ましていました。
”リオには一緒に行くから〜”…「ひら姉〜」の言葉に、愛ちゃんは”今からでも代表4人にならないかな〜”と…
いろんな重圧を少しでも分け合いたいという本音も飛び出していた。

そして、リオ本番のメダルを掛けたシングルスの北朝鮮戦では、”ドンマイ ドンマイ”と大きな声と拍手が響く…
残念ながら、メダル寸前にして、手が届かなかった愛ちゃんと、同じ涙を流してくれた。
そんな愛ちゃんは、急に下を向いて、バックから白い大きなタオルを取り出し、「ひら姉〜」に使う?と差し出した。
二人の目には涙が止まらない…でもその直後、団体戦に切り替えると涙を拭いてインタビューに応じていた。

団体戦に切り変えると誓った次の朝、足に激痛が走った。
大腿部の筋膜炎症がおきていた。
これから始まる団体戦に、自分が一喜一憂してしまうとメンバーも動揺してしまう…
痛みをこらえて、朝の練習からこなしている姿が映し出されていた。

リオの観客席には、団体戦のもう一人〜 元選手「ひら姉〜」の姿がありました。
大きな声援と拍手に後押しされ、メダルに向かって勝ち進んでいる。
足にはピンクの長いテーピングとしっかり白い包帯も巻かれていました。
自分と同じ涙を流せるのは唯一「ひら姉〜」だけ!!

初めての五輪で、憧れの先輩二人が大きく包んでくれて、弾けるプレーで楽しんでいた「伊藤美誠選手」
日本女子のエースらしいプレーで戦えた「石川佳純選手」
このリーダーの重圧に戦い抜いた「福原愛選手」
それにもう一人、このリーダーを支え続けた「平野早矢香元選手」

ここには子供の頃の泣き虫愛ちゃんの涙とは違った、重圧や怪我から開放された涙で溢れていた…
そして、リオの地で「ひら姉〜」も心からの祝福の涙が流れていた〜

私も五輪ライブ映像で戦っていた姿を思い出したり、五輪の裏側映像を見て聞いて、いつの間にか感動の涙が溢れていた。
2020年、東京五輪会場造りが始まっていて、選手達も4年前と同じ代表争いに向かって動き出しています。
まして、地元開催されるオリンピックでは、どんな感激が、感動がみられる事でしょうか☆彡